Reflection from Hitomi Tanaka

FSUC ラダック コクリエーション・ツアーに参加して

 

まさか自分がラダックに行くとは思ってもいなかった。そんな私がラダック行きを決心するに至った理由は、自宅のビルの補修工事。シックハウスに苦しむ中で見たラダックの風景写真は、とても力強く、ストレスフリーで、シンプルな生命力にあふれていた。懐かしいミライに代表される人々の素朴な笑顔。ラダックの大地に立てば、天真爛漫なもう一人の自分と出会えるような気がした。

 

実際に降り立ったラダックの地は、想像以上にやわらかく清涼で、未来のために植林されたポプラ並木とリンゴの花が咲く、美しい地上のオアシスだった。何よりも人々の慎ましやかな笑顔が印象的で、本当に異国の地で親戚に出会ったようなうれしい感じがした。シンプルな日干しレンガと自然が息づく町並みだけに、ゴミが放置されている現状は残念だったが、それでもここには物質的な不便さを苦痛に感じさせない、悠長で満ち足りたトキが流れている。

 

訪れたホームスティ先の11歳の女の子たちは、学校の勉強と家の手伝いをそつなくこなしながらも、非常に天真爛漫でユニークな感性を華ひらかせていた。この感覚は、懐かしい!少しはにかみながら、純粋に訳もなくうれしくて、踊り出したくなるくらい楽しい気持ちを表現したくて、さり気なくこちらの様子を伺っている。その様子がなんとも可愛らしく、お母さんもおもしろい。踊り出した子どもたちの生き生きとした表情に、思わず未来のうれしいビジョンを体感した。年を重ねても自由な発想で楽しめるラダックの子どもたちが、このままのびのびと世界に羽ばたいていったら、想像するだけで世界が元気になり、誰もがラダックの素朴な美しさに目を見張るだろう。そして、インダス川を足下に、ヒマラヤ山脈に囲まれ、白い岩山を臨む壮大な原風景は、これまでの日本の暮らしを幻に変えてしまうくらいリアリティーが息づいていた。

 

そんな素晴らしいラダックの地で、まさか私もLADAKH WISDOM FORUM(LWF)で発言をする機会に恵まれることは、まさにフィールドシップとラダックの叡智の懐深さを受けとる貴重な機会だったといえる。通常ではありえない経験はFSUCオリジナルの設定で、多様な立場の、意見の違うすべてのフィールドが一様に集っては超合されていく。やはりラダックでも教育が一番の関心ごとで、今どきの若者に関する意見は白熱していた。私の印象としては、各国共通して、若者に降り掛かる理想やプレッシャーの精神的比重は大きいということ。余計な価値観を植え付ける教育やグローバル化の波は、確実にレーの一部の若者に影響を及ぼしている。もともと全てでひとつとして柔軟に働くことのできる天性のラダックの人たちに、葛藤やコンプレックスにエネルギーを費やすような教え込みは不要だと胸を張っていえるのだが、どうやら時代の大きなうねりに、現地の意見は2つに分かれていたようだ。

 

LWFの中心人物であるFSUCツアーガイドのスカルマ氏をはじめ、UNIVER-CITY LADAKHのオッツァル氏からは、そんな現状にも屈しない、ミライから今を見据えるような逞しいシンを感じた。中道という仏教的な考え方も印象深い。何よりも、000に純粋な可能性を見出し、ストレートに共鳴している様子が伝わって来る。そんな彼らが語っていた言葉の中で、最も印象的だったことは、どんなに立派な提言を掲げていても、自分たちの足下に息づいていなければ何の意味も持たないということ。日々自らの意志で叡智を実行し続け、息の長いスパンで未来に示し、橋渡ししていくことを深く決心し語っていた。

 

来年は、あらゆるタイプの若者を集ってLWFを展開するという。UCLなら間違いなく、どんな嵐の中でもラダックの叡智を保ちながら、本質的な答えを紡ぎ出していくだろう。今から非常に楽しみだ。

 

田中ひとみ